迷ったら聞く

 

※受講生と学長の質疑応答より

 

質問者 1:夫に対してついつい小言を言ってしまいます。もちろん直ぐに反省もするのですが、美点発見を子供にはやっていても夫に対しての美点発見が足りないのかなと思っています。

通勤途中とかに心の中で夫の美点発見をするということでも良いでしょうか?

 

学長:そうですね。心の中でも良いですが、書くのが一番良いです。

そしてご主人に対して何か文句がある時は、頭出しを変えれば良いのです。

 

普通は文句から言うでしょ。

その時に「ありがとう」から言うと良いです。

「ありがとう」と先に言うと文句が言えなくなっちゃう。「何がありがたいんだ?」と聞かれたら「ありがとう」を言うしかなくなる。そう言う状況を自分で作る。頭出しを変える。

 

質問者 1 :しかし、一緒に暮らしていると、どうしてもここが気に入らないと言うのが出てくるのです。直して欲しいことを何回同じことを言っても直してくれないので、「直す気がないのね」って言ってしまうのです。

 

学長:例えば、「ごめんなさい」といえば、「あなたにそう思わせたのは私のせいかも知れませんね」って、ごめんなさいを言ってからいうと相手のせいにしていないのです。

 

質問者 1:わかりました!そうします。そう言ってから、「少し直してもらっても良いかな」って言うようにします。

 

学長:もう一歩です。それももう一歩です。

聞くのです

「どうしてそうしたの?」そして、こういうふうに言ってくれたとしたら、「わー、そうなの。勉強になった。そういう捉え方もあるのね」って、いくらでも話をもっていきようがありますから。

 

言葉の選び方なのです。

迷ったら聞くのです。わからなかったら。

 

自分の価値観と夫の価値観が違うのは当たりまえなのです。父母も違うし、先祖も違うし、同じな訳がないのです。

その違ったもの同士が一緒に暮らしているのです。なので、そう言う工夫が必要なのです。

 

私に従って欲しいと思ったでしょ。でも、もしもあなたに全部従う男性がいたら魅力を感じないと思います。

全然リーダーシップも何もないということになります。

だから、自分の心の環境を変えれば良いだけなのです。

 

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質問者 2 : 子供から真我に依存していると言われます。

 

学長:真我に依存するということは内なる神の意識に依存することなので、究極の自律なのです。

偽我、偽の自分と本当の自分がある。偽の自分が偽の自分で自立をしているのは自立とは言わないのです。

 

偽の自分だから。本当の自分に目覚めることが究極の自立なのです。

内なる神の心、仏の心、愛そのものの自分。

その宇宙の法則の中で生まれた子供であり、そのシステムなのです。

 

ちゃんと子供に理解してもらえるようになったらいいですね。子供に試されていると思ったらどうですか。

お母さん、ちゃんとわかってるの?って。私に分かるように言ってって。

暗にそう言っているのかも知れませんね。私を理解させたら他の人も理解させることもできるわよって。

 

そう思って、人生は誤解を解いていく作業だと思って、真我をきちんと伝えられるようにしてください。

 

 

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質問者 3 : 人生の選択で今悩んでいます。

 

学長:道に喩えるなら、二股の道があるとしたら左に行くか右に行くかなのです。

左にまっすぐ思いっきり行ったら、もう右には行けなくなる。

右に思いっきり行ったら左には行けない。左側の道の景色がある。右側の道にも景色がある。全然違う景色なのです。

 

ですから、もし自分が迷ったら右に行ったらいいか、左に行ったらいいか、明らかに自分で決めて何らかの結論を出したいというなら、

その決めた道をいかなければ、その道の結論が出ないのです。

 

その目的地にも行けないのです。だから決めたらその道を行くというとこなのです。

 

それは全部自分で決めることです。自分の人生だから、誰かに決めてもらうことでは無いのです。

 

誰かに決めてもらっても責任を取るのは自分なのだから。

決断をする、方向性を決めるというのは自分で決めて、もう一歩進んでみてください。